大判例

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東京地方裁判所 昭和56年(ワ)10780号 判決 1988年3月29日

原告

荻村隆

他五四名

右五五名訴訟代理人弁護士

西尾孝幸

虎頭昭夫

山嵜進

的場徹

被告

帝都高速度交通営団

右代表者総裁

山田明吉

右訴訟代理人弁護士

瀧川三郎

鵜澤勝義

鵜澤秀行

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  原告ら

(一) 被告は、東京都都市計画都市高速第一一号線渋谷二丁目・日本橋本町間鉄道敷設工事のうち、千代田区九段南一丁目六番地先都道から同区九段南二丁目四番地先都道までの工区(以下「甲工区」という。)につき、鉄道敷設工事を行つてはならない。

地質年代

地質系統

岩相上の特徴

N値

(概略)

第四紀

沖積世

表土

下界累層

下部有楽町層

粘土質シルトから成る。

2以下

丸の内砂礫層

シルト質細砂及び細砂から成り、礫層をところどころに介在する。

1~7

洪積世

関東ローム層

黄褐色のロームから成り、腐植物や軽石などをまじえることがある。

3~10

渋谷粘土層

凝灰質の粘土ないし砂質粘土から成る。

2~14

東京累層

上部東京層

砂質シルト及び各種の粒度の砂から成り、ときに小礫を含む。

3~50

東京砂礫層

砂礫、礫まじり粗砂、シルトまじり砂礫などから成る。

50以上

下部東京層

第三紀

鮮新生

三浦層群

(いわゆる“土丹層”)

(二) 訴訟費用は被告の負担とする。

2  原告荻原隆及び同森田優

(一) 被告は、東京都都市計画都市高速第一一号線渋谷二丁目・日本橋本町間鉄道敷設工事のうち、千代田区九段南二丁目四番地先都道から同区三番町七番地先区道までの工区(以下「乙工区」という。)につき、鉄道敷設工事を行つてはならない。

(二) 訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

1  本案前の抗弁(請求の趣旨1項に対し)

本件訴えを却下する。

2  本案に対する答弁

主文同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

(一) 原告らは、いずれも千代田区九段南二丁目に住居を有し、東京都都市計画高速第一一号線(以下「本件地下鉄」という。)の予定路線上もしくはその近辺で土地を所有し又は生活を営んでいる者である。

(二) 被告は、東京都の区の存する区域及びその付近における地下高速度交通事業を営むことを目的として、昭和一六年七月四日帝都高速度交通営団法等に基づき設立された営団である。

2  本件地下鉄計画の概要

本件地下鉄渋谷・日本橋蛎殻町間10.5キロメートルは、昭和四三年四月一〇日付け都市交通審議会答申第一〇号をもつて答申され、同年一二月二八日付け建設省告示第三七三一号で都市計画決定された路線である。被告は、昭和四六年四月二八日付け鉄監第二六七号で右路線の事業免許を得て、建設工事に着工し、既に一部は半蔵門線として営業を開始している。

番地

深度(メートル)

層厚

(メートル)

上限

下限

1

千代田区九段南二丁目九番七号

三一・二五

三一・二九

〇・〇四

2

千代田区九段南二丁目四番一一号

三二・四五

三五・二八

二・八三

3

千代田区九段南二丁目三番一〇号二九

三〇・七〇

三五・一六

四・四六

3  本件地下鉄敷設工事に関する被害

(一) 本件工事区間の地盤及び土質等

(1) 地下鉄工事及び運行に際して生ずる被害は、当該路線部分の地盤及び土質等によつて左右されるが、本件工事区間の土地は様々な被害を増幅させる条件に満ちている。

(2) 本件工事区間を含む地域一帯は、地表に近いところから深部にかけて次のとおりの地質系統を有している(なお、表記載のN値とは、内径三五ミリメートル、外径五一ミリメートル、長さ八一〇ミリメートルのスプリット・スプーン・サンプラーをボーリング孔底に降ろし、63.5キログラムのハンマーにより七五センチメートルの落差で打撃し、サンプラーが地盤中に三〇センチメートル貫入するのに要する打撃回数で、地盤の相対的強度を示す。)。<編注・上表>

(3) 右表のうち、東京砂礫層は、東京累層の中に介在している比較的連続性に富んだ砂礫層であつて、これにより東京累層は下部東京層と上部東京層とに二分されている。その層厚は、わずか数センチメートルから三ないし六メートルと膨縮に富むが、N値が一般に五〇以上という堅緻な地層であるため、東京都区内では、これが重量構造物の支持層として用いられることが多い。ところで、東京砂礫層の地表面からの深度及び層厚は、本件工事区間付近においては次のとおりである。<編注・前頁下表>

被告は、本件地下鉄工事区間のシールドトンネル部分の土被りは、約21.2メートルから約30.4メートルであり、原告ら所有地を含む民有地下においては、約20.5メートルから27.5メートルであると主張するが、そうだとすれば、本件地下鉄のトンネル部分は、右地盤強固な東京砂礫層にかからないか、かかつてもごく一部であることは明らかである。また、前記表のとおり、本件付近の東京砂礫層は、その層厚が薄く、トンネル構築のための支持層としては十分な層厚がない。

(4) 本件地下鉄永田町・九段下間の建設予定地の地下に発達する各層は、水平的にも垂直的にも岩相が著しく変化している。なかでも東京累層は、「古東京湾」に堆積した浅海成層であることから、岩相の変化が顕著である。また、いわゆる九段上地区の上部東京層中の上部滞水層では砂分含有率が七〇ないし八〇パーセントの範囲の部分が多く、比較的単調な岩相をしているのに対し、下部滞水層においては砂分含有率が八〇ないし九〇パーセントに達する部分が優勢で、部分的に何層かの粗粒砂及び粘着性を有する薄い層が極めて複雑に介在している。そして、このことは、上部東京層及び下部東京層についても岩相上の変化が著しいことを推測させる。

また、本件付近の岩相は、上部東京層のN値が下方に行くほど大きくなつているとは限らない。例えば、千代田区九段南二丁目九番七号の付近では、地表面からの深度19.50メートル付近から27.50メートル付近にかけてN値が四七ないし五〇以上の各種の粘度の砂層(一部に粘土層をはさむ。)があるが、その下方の30.70メートル付近までの間は、N値が一九ないし二〇に低下している。同様のことは、本件工事区間に近接している同区同南二丁目六番一二号付近、同二丁目四番地付近、同二丁目三番地一一号付近についてもいえる。したがつて、このような点からも、本件地下鉄トンネルは、十分な強度あるいは支持力をもつた地層上に構築されるものではない。

(5) 以上のように本件工事区間の地盤・土質及び地下構造の状況からは、本件地下鉄工事及び運行に適切ではないという結論が導き出される。地下鉄工事を敢行することによつて重大な被害が起きることは明らかだからである。

以下、地下鉄工事及び運行によつて発生する被害について詳述する。

(二) 地盤沈下

(1) 本件地下鉄工事は、いわゆる「九段坂」に開削されたシールド立坑の部分を除き、複線シールド工法、被告の主張によれば、泥水加圧式シールド工法によつて行われることとなつている。しかし、右工法を採つているとしても、何らかの原因によりシールド機械による掘削が中断した場合の落盤(切羽の崩壊)、出水した地下水の揚水、シールドテールにおいてシールド機械が通過した直後に迅速になされるべきセグメントの組立て及び裏込め注入作業の不完全(なお、被告は東京都と異なり、裏込め注入を一度しか行わない。)、圧気によつて土中水を空気に置きかえるなどの原因により周辺の土を緊質なものから緩んだものに変化させてしまう。これを防ぐ方法は現在のところ存在せず、地下鉄工事におけるシールド工法は、相当程度の地盤沈下を不可避的に発生させているのであつて、被告の資料によれば、シールド工法によつた場合にもわずか三か月足らずの間に、最大で八センチメートルないし五〇センチメートル、平均して三センチメートルないし三〇センチメートルの範囲で沈下が発生し、しかも、その影響範囲もトンネルの中心線から片側だけでも幅一二メートルから一二〇メートルにもなつていることが知られる。

地下鉄工事による地盤沈下は、右のように工事直後に急激に発生するが、しかし、それによつて進行が停止するわけではない。すなわち、一度緩んだ地盤は、時間をかけて徐々に緊密になるからである。工事直後に生ずる急激な地盤沈下は、その一部にすぎない。工事直後に急激に沈下が生じた箇所では、その後の時間の推移とともに、更に沈下が進行するのである。

(2) ところで、本件工事区間は、先に述べたとおり、東京砂礫層から上部東京層を経て丸の内砂礫層に至る滞水層にかかり、大規模に掘削することとなるため、地下水脈あるいは地下水盆が各所で分断され、地下水の賦存状態に変化をきたし、地盤沈下の原因となる地下水の枯渇現象が発生する可能性が極めて高い。また、たとえ、渋谷粘土層、関東ローム層や丸の内砂礫層中に存在している浅層地下水には手がつけられない場合でも、東京砂礫層や上部東京層中に存在している深層地下水が地下鉄工事のために減少あるいは枯渇すると、それを補うために浅層地下水が深層へ吸収される。更に、付近一帯は、含水量の多い軟弱な地層が広く発達しているため、工事に伴う大量の出水及び切羽崩壊が生ずる可能性が高く、地盤沈下を必然的にもたらす。

(3) また、地盤沈下は、運行あるいはトンネル部分が地下に存在することによつても発生ないし促進される。すなわち、地下鉄の頻繁な運行に伴つて生ずる振動により発生する地層の脱水・収縮、トンネルのゆがみないし欠損、裏込めの薬液注入の不備、トンネル部分が滞水層を切ることによつて生ずる地下水位の低下、滞水層における水流をせきとめる形でトンネルが貫通することによつて生ずる下流における水量の変化、トンネル内の漏水等も地盤沈下の発生ないし促進の原因となる。

(4) 以上のように、地下鉄のシールド工事及び運行によつて、地盤沈下の発生は不可避であるが、とりわけ本件工事区間は、土質、地盤及び地下水等の関係で、いつそう激しい地盤沈下をひき起こす要因が数多く存在するのである。

(三) 地下水の枯渇、浸水及び汚染

(1) 地下水の枯渇及び浸水

前記(二)(2)で述べたとおり、本件地下鉄工事により地下水の枯渇及び浸水が発生し、この結果、井戸水が枯れたり、逆に大量の湧水のため通行ができなくなるなどの浸水による被害を被る可能性が大きい。

(2) 地下水の汚染

本件地下鉄工事においては、軟弱地盤上にシールドを敷設するため、凝固剤の使用が不可欠となるところ、現在、凝固剤としては水ガラス系薬剤のみが使用を許されているが、この薬剤についても湿疹、かゆみ等の被害が発生しており、その安全性が確認されたわけではなく、人体に被害を及ぼすおそれの大きい薬剤であり、地下水を汚染することが当然予測される。

(四) 騒音・振動

(1) 騒音・振動は、住民の生活と健康を不断におびやかす日常的な生活侵害であつて、住民にとつて耐え難い苦痛であるが、地下鉄に関する騒音・振動は、敷設工事によるものと敷設後の地下鉄運行に起因するものとに分けられる。

(2) 地下鉄敷設工事に伴う騒音・振動

地下鉄敷設工事は、一般の建築工事とは比較にならないほど規模が大きいうえ、あらゆる建築物の土台である地面を掘削するものであることから、より著しい騒音・振動被害を発生させる。

一般に、地下鉄敷設工法には、地上部から掘り下げる開削工法と地下を掘り進みトンネルを作るシールド工法とがあるが、開削工法による工事は、いかに低騒音開削機器を使用しても開削時に著しい騒音・振動が発生することは避けられないし、本件工事の大部分を占めるシールド工法によつても、騒音・振動の発生は解決されず、地下の掘削によつて生じた騒音・振動は地下構造物を第二次源として地上の住民に伝わつていくのである。

(3) 地下鉄運行による騒音・振動

地下鉄の車両の走行は、種々の振動を生ぜしめるが、住民に対し振動被害を与える主たる原因となるのは車輪とレールとの衝撃により生じた振動である。これは、枕木、道床へ伝わり、トンネルそのものを振動させる。そして、これがトンネルの周囲の地盤を振動させ、建物の地下構造部に伝わり、更に建物そのものに伝搬され、床や壁を振動させる。その結果、人体に振動を感じさせることになるが、それとともに建物の振動が空気に伝わり騒音を生じさせたり、ふすまや家具などが振動によりカタカタという音を生じさせることになる。

重量のある車両がレールの上を走行する場合に振動が生じることは避け難いが、車輪やレールに変形が生じている場合には、生じる振動を倍加させる。車輪は、本来真円であるべきものであるが、使用により種々の損傷を生じ、変形する。特に、車輪にフラット(急ブレーキをかけた際に車輪が回転せずにレールの上を滑ることにより生じた平面状の傷のこと)が生じた車輪が通過する場合には、非常に大きな振動が生じる。また、車輪踏面に生じた小さな剥離も、振動の発生原因となる。一方、レールに生じた波状磨耗も、振動発生の大きな原因となる。波状磨耗は主として急曲線区間のレール及び制動区間のレールに生じるものである。また、レールの継ぎ目が振動の大きな原因となることはいうまでもない。

ところで、右に述べた振動の発生原因となるものは、列車が走行する以上避けられないものである。すなわち、現在の列車のブレーキ構造を考えると、列車が停止する際には車輪が回転せずにレールの上を滑ることは避けられず、必ず車輪にフラットが生じることになる。また、制動区間のレールに波状磨耗が生じることは、列車運行に当たつて制動区間が必要である以上やはり避けられない。そして、急曲線区間のレールに生じた波状磨耗は、地下鉄にとつては宿命的なものである。すなわち、地下鉄は、主として道路の下を通過するよう建設されているため、急曲線区間が多くならざるを得ず、しかも同種の列車だけが走るために波状磨耗が同一の場所に生じることになるのである。原告らが工事差止めを求めている本件工事区間は急曲線であり、振動が最も発生しやすいところである。

一般に振動は発生源に近いところで制御するほど効果があるといわれている。しかしながら、振動発生の主たる原因が車輪とレールとの衝撃にある以上、振動の発生は不可避であり、発生そのものを防止することは不可能である。したがつて、地下鉄運行による振動対策としては、振動の発生そのものを防止するのではなく、発生した振動を伝搬過程でいかにして減少させるかということにならざるを得ない。近時、地下鉄運行による騒音・振動の増大に伴い、振動を減少させようとして種々の方策が考えられ、また一部実施されているが、現時点では有効な手段は存しない。

運行により生ずる騒音・振動は、工事により生ずるものと異なり、半永久的であり、その被害は比べものにならない。絶え間ない振動・騒音は、不眠、イライラ、情緒不安定等の精神的損害を与え、それとともに、柱や床が傾いたり、壁が落ちたりして家屋に損傷を与えるなどの経済的損害を与える。かかる被害が、住民の健康で文化的な生活に反するものであることは明白である。運行により生ずる騒音・振動を防止する有効な手段が存しない以上、運行そのものを、すなわち、地下鉄の建設そのものをやめさせる以外に道はない。

(五) 酸欠空気の噴出

(1) 東京都内において昭和三五年ころから酸欠空気による事故が急増しているが、この酸欠空気発生の原因は、地質的構造と地下の工事、特にシールド工法に由来している。

すなわち、東京砂礫中には本来地下水が充満しているはずであるが、工業化及び都市化に伴う大量の地下水揚水により地下水が枯渇ないし極端に減少してしまつたため、東京砂礫層中の第一鉄(Fe+2)が空気中の酸素により酸化され第二鉄(Fe+3)になつてしまう状態にあり、また、砂礫層中の有機物質、土壌コロイド等も酸素を吸収する。

ところで、地下水がでる軟弱地盤においてシールド工法を施工するには、圧気を送り込みながら工事をするが、この圧気が右のとおり地下水の低下で空になつた東京砂礫層に送り込まれ、その砂礫層中を通る間に、酸素が吸収されて酸欠空気となり、地上に噴出するのである。

(2) 昭和四六年に酸欠空気事故で二人の死亡者を出した最高裁判所新築工事現場は、本件九段地区から近いが、右酸欠空気事故の原因は、六〇〇メートルほど離れた被告の地下鉄永田町駅工事関連のシールド工法に由来している。

このような地質のところで、シールド工法を使用すれば、危険な酸欠空気が九段居住地区から噴出するおそれは大きい。

(六) 工事によるその他の被害

(1) ガス爆発事故等の発生

ガスはこれが漏れると、知らないうちに広範囲の地域に広がり、CO中毒をひき起こし、また引火すれば一瞬のうちに爆発して大規模な火災となり、多数の死傷者を出すことになるが、このガス漏れの最大の原因となるのが地下鉄工事における手抜き工事及び工事ミスである。

都会の地下にはガス管が網の目のように張り巡らされているが、本件工事区間にも多くのガス管が埋設されており、また、地形的にもガス管本管の埋設状況は単純でない。そのうえ、度重なる道路工事により、各埋設物の位置がずれてしまうこともあり、埋設物地図に従つて工事をしたとしても安全ではない。

このように、本件工事区間の地下に存在するガス管等の位置は必ずしも明らかではないばかりか、手抜き工事をなされたりすれば、ガス爆発等の大惨事をひき起こす可能性は大きい、といわなければならない。

(2) 水道管破裂、水漏れ事故の発生

ガス管と同様に、路面下には水道管も埋設されており、その過密性、不分明性については右に述べたとおりである。水道管破裂は浸水や陥没の事故を起こすが、更に二次被害をひき起こす可能性もある。

(3) 排気口周辺の被害

地下鉄運行に際しては地下の汚れた空気を地上に排出するための設備が必要となるが、排気口が住宅地域に設けられることになれば、鉄粉塵、バクテリア、悪臭等による被害も見過ごすことはできない。

4  本件地下鉄計画の公共性への疑問

(一) 被告は、本件地下鉄の目的として、①銀座線の混雑緩和②渋谷副都心の育成③千代田区の皇居西北地域の都市再開発を挙げるが、本件地下鉄計画は、以下に述べるとおり右目的の達成に有効とは考えられない。

(二) 混雑緩和問題

混雑緩和は、「通勤地獄」という言葉が示すとおり巨大都市東京にとつて大きな社会的課題であるが、本件地下鉄の新設は、通勤緩和の抜本策とはならない。すなわち、輸送力が増強すれば通勤人口も増大するのであつて、本件地下鉄は、新たな交通需要を掘り起こし、交通容量を二倍にすることにより、三倍の通勤人口を渋谷から都心部(千代田・中央・港の三区)へともたらし、新たな都心集中の原因になると予想される。

(三) 渋谷副都心の育成

今日、副都心は、どこももはや飽和状態に近いぐらいに人口が集中してしまつたが、渋谷には既に山手線、井の頭線、新玉川線、銀座線、東横線があり、これに本件地下鉄が加わるならば、渋谷は育成されるどころか混雑がひどくなるばかりである。

(四) 千代田区の皇居西北地域の都市再開発

そもそも、その意図する具体的中味が明らかでないうえ、千代田区の道路率は都内としては良好で、且つ、通勤通学に自動車を使用する者は千代田・中央区間をとればわずか三パーセントであることを考慮するならば、本件地下鉄の新設によつて道路利用者を吸収し、道路の混雑を解消することはほとんど考えられない。

5  差止めの法的根拠

(一) 原告らにおいて本件地下鉄敷設工事の差止めを求める実体法上の根拠は、原告らにおける固有の絶対権たる人格権及び環境権である。

(二) 人格権とは、幾多の判決例において実体権として認められているが、その侵害に対しては物権的請求権に準じた妨害排除請求が認められるべき権利である。すなわち、個人の生命・身体の安全、精神的安定、生活の平穏に関する利益は人間の生存に最も基本的なものであり、社会生活においては最大限の尊重を要するものといえる。憲法一三条、二五条は右の趣旨で基本的利益の尊重を明示した規定であり、従前から司法的救済の対象となつていた名誉、肖像、プライバシー等精神的側面における人格的利益は、右の人間たる基本的利益の個別的な発現に外ならない。人格権とはこれら様々の基本的な人格的利益を総合して観念されるべき権利であり、その絶対権的性格から第三者からの侵害に対しては直接この排除を求めることができる。

(三) 一方、環境権とは、人間が健康な生活を維持し、快適な生活を求める権利もしくは人間が良き環境を享受しこれを支配する権利と定義しうる。この権利は、幸福追及権を規定する憲法一三条及び健康で文化的な生活を国民に保障する同二五条に法的根拠を有し、諸個人の生命、健康、生活の平穏を直接支える快適な環境を維持し、公害に代表される環境汚染行為による環境侵害の排除を積極的に求めうる利益をその実質とする。環境は地域住民が共有するものであるから、地域的レベルでの環境破壊は各住民固有の権利侵害となる。

(四) 本件工事が惹起する被害のうち、地盤沈下、地下水の枯渇、浸水被害、地盤凝固剤使用により生命身体に及ぼす被害、工事及び運行による振動・騒音、ガス爆発、水道管破裂の危険等は、いずれも周辺住民である原告らの生命、身体の安全、生活の平穏を害するものであり、原告らは本件工事の進行によつて現実の被害と危険にさらされざるをえなくなる。右各被害は、個人として尊重されるべき原告らの生命、身体を脅かし、生活及び精神的安定の平穏を害するものであつて、原告らの人格権を侵害する。

また、本件工事によつて、前述のとおり、地下水脈の変化、地盤凝固剤使用の影響等によつて生態系が根本的に変化する危険があり、本件工事は住民にとつて著しい環境汚染を発生させる蓋然性が高い。

このような本件地下鉄敷設工事によつて不可避的に発生する生活妨害及び環境破壊は、直接間接に原告らの人格権たる生命、身体、精神及び生活に関する利益を侵害し、また原告らにおける良き環境を享受し快適に生活する利益たる環境権をも侵害する。そして、このような人格権もしくは環境権侵害発生が高い蓋然性をもつて認められ、重大な結果を生じさせるものである以上、右侵害の排除は人格権、環境権の効力として当然に許容されるべきであつて、本件工事においては工事それ自体に工事完成後に発生する被害をも含めてすべての被害の原因が存在するから、本件侵害の排除のためには、本件地下鉄敷設工事を差し止める以外に方法はない。

よつて、原告らは、被告に対し、人格権もしくは環境権に基づき、これらの権利に物権的請求権に準じて認められる妨害予防請求権の行使として、本件地下鉄敷設工事のうち、請求の趣旨記載の工区の鉄道敷設工事の差止めを求める。

二  被告の本案前の主張(請求の趣旨1項に対し)

原告らが請求の趣旨1項において差止めを求める甲工区は、別紙「一一号線九段付近工事進捗状況図」記載のとおり渋谷起点六キロ二四〇メートルの地点から六キロ八一〇メートルの地点までの範囲であるが、うち渋谷起点6キロ698.511メートルから6キロ810メートルまでの部分は、駅施設部分で、先に行われた都営新宿線の建設に当たり、被告が東京都に委託し、開削工法により昭和五四年一〇月三一日に完成していたものであるから、実質的に差止めの対象になつているのは、渋谷起点6キロ240メートルから6キロ698.511メートルまでの範囲である。

ところで、被告は、泥水加圧式シールド工法により、トンネル躯体を形成する一次覆工を、渋谷起点6キロ698.511メートルから6キロ225.858メートルまでの範囲につき、昭和五八年一〇月二三日に終了した。そして、原告らが本件工事により被害を受けるおそれがあると主張しているのは、トンネル掘削完了までのいわゆる土木工事を指し、掘削完了後トンネル内で行われるレール敷設工事、電気工事等によつては原告らが予測する被害の発生はあり得ないから、甲区間については差止めの利益は消滅したというほかはない。

地質年代

地質層序

平均層厚

(メートル)

N値

特徴

第四紀

沖積世

表土

1.3

洪積世

関東ローム層

新期ローム層

2.8

5前後

赤土と呼ばれる火山灰質粘性土層である。

(渋谷粘土層)

下末吉ローム層

3.6

2~10

黄灰色を呈す凝灰質粘土層である。

上部東京層

23.9

15~40

細砂・中砂を主体とする砂層である。

最上部には礫が一部多く混入している。

中央部には連続性のよい粘土層を介在している。

最下部には連続性のよいシルト層が分布している。

東京礫層

3.6

50以上

礫を主体として極めて堅硬である。

下部東京層

70.0以上

50以上

細砂からなり極めて密である。

第三紀

鮮新生

三浦層群

よつて、被告は、請求の趣旨1項について訴えの却下を求める。

三  被告の本案前の主張に対する原告の答弁

甲区間における地下鉄敷設工事がほぼ完了していることは認める。

四  請求原因に対する認否及び反論

1  請求原因1(一)の事実は原告らの大部分について認め、同1(二)の事実は認める。

2  同2の事実は認める。

3(一)  同3(一)は否認ないし争う。

本件工事区間の地形は、淀橋台と呼ばれる洪積台地の外縁部に当たり、標高が東京湾平均海面上約一五メートルないし二五メートルで、九段下交差点付近に向かつて低くなつている。その地質体系は左表のとおりであり、原告らの主張する下部有楽町層及び丸の内砂礫層は存在しない。<編注・前頁表>

本件工事区間におけるトンネルの下床は、N値五〇を越える下部東京層の安定した地盤に構築されるものである(トンネルの下床は地表面下約31.0メートルないし約40.2メートル)。のみならず、電車荷重を含めたトンネルの構築の荷重は約九〇t/mで、同容積の土砂の重量約一五〇t/mより小さいため、本件工事区間のいかなる地層に構築されても十分支持しうるものである。

(二)  同3(二)は否認ないし争う。

(1) 被告は、本件工事区間においては泥水加圧式シールド工法を採用しているが、泥水加圧式シールド工法とは、加圧された泥水で切羽面の安定を図り、カッターを回転して掘削し、掘削土砂を後方にパイプ輸送しながら掘進する工法である。この工法を施工するに当たつて、① 掘進中においては掘進箇所の地質に適合した泥水を使用する、② 掘進箇所の地質、土圧及び水圧に適合した切羽泥水圧を管理し、切羽地山の安定を図る、といつた対策を入念にとるので、本件工事区間が良好な地盤に属することと相まつて、これ以外の工法によつた過去の工事のような地盤沈下が生ずることはない。

原告らは、被告の裏込め注入作業が不完全で、これが地盤沈下につながると主張しているが、被告は、シールド掘進に伴うテールボイドについては、シールド掘進と平行して裏込めモルタルを繰り返し圧入し、十分に填充することとしている。

この工法によれば、地山への影響はほとんどなく、且つ、地下水位の低下は生じないので、地下水位の低下に起因する地盤沈下のおそれはない。

(2) 原告らは、地下鉄の運行に伴い周囲の地層が脱水収縮現象を起こし、地盤沈下を招くと主張するが、先に述べたとおり、電車走行荷重を含めたトンネルの重量は、同容積の土砂の重量に比較して小さいことから考えると、そのような現象を起こすことは考えられない。現に、そのような例はない。

(三)  同3(三)は否認ないし争う。

(1) 地下水の枯渇と浸水とは相容れない現象であり、本件工事に伴い右の現象が同時に生ずることはあり得ない。

本件工事区間において採用する泥水加圧式シールド工法においては、シールド機械は前面に泥水室を設け、そこに切羽の土圧及び水圧に相当する圧力の泥水を満たしているので、地下水の枯渇及び湧出はあり得ない。また、本件工事区間の地形、地下水の位置及び地下鉄トンネルの敷設位置からみても、トンネルがダムの役割をして地下水をせき止め、地上に地下水が湧き出す要因は全くない。

(2) 被告は、凝固剤の使用に当たり、昭和四九年七月一〇日付け建設省官技発第一六〇号「薬液注入工法による建設工事の施工に関する暫定指針」により使用を認められている水ガラス系以外は使用していないし、この指針を遵守しており、凝固剤の使用による問題を起こしたことはない。被告は、凝固剤として、LW―1(主剤は珪酸ナトリウム、その他はポルトランドセメント)、RSG―Ⅱd(主剤は珪酸ナトリウム、その他は重曹、エチレングリコールヂアセテート)及びRSG―Ⅲ(主剤は珪酸ナトリウム、その他はトリアセチン)を約二〇〇〇立方メートル使用することを計画している。

(四)  同3(四)は否認ないし争う。

(1) シールド発進基地である立坑は既に完成している。また、本件工事による振動・騒音及び電車の運行による振動・騒音は、本件工事区間の土被りが約21.2メートルないし約30.4メートルと深いので、上部地表ではほとんど感知できない程度のものである。

(2) 一般に、人間が感じる最低の振動レベルは五五デシベルとされているが、振動について、被告は、営業線の経験を踏まえて研究した結果、次の予測式を得ている。

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(注)L=地表振動の鉛直振動レベル(原則として土路盤上)(dB)

K=軌道別による振動レベル(dB)

X=トンネルからの距離(m)

Y=トンネル 重量(t/m)

Z=列車速度(km/H)

本件工事区間における振動予測値を試算すると、土被り21.2メートルの地点では、K=64、X=21.2、Y=70、Z=55となり、地表振動の鉛直振動レベル平均値は約44デシベルである。また、土被り30.4メートルの地点では、K=64、X=30.4、Y=70、Z=70となり、地表振動の鉛直振動レベル平均値は約43デシベルである。

(3) 更に、被告は、本件地下鉄の建設工事及び運行につき、わが国の鉄道建設に関するあらゆる技術上の研究成果を結集して、十分な騒音・振動防止対策をとつている。すなわち、建設時の防止対策としては、① ロングレールを使用する、② 砂利道床とする、③ 砂利道床の下に防振マットを敷く、④ トンネル壁を厚くし、重量を大きくする、⑤ レールと枕木を弾性締結とする、開業後の防止対策としては、振動・騒音の発生源となる車両及び軌道を定期的に検査し、車両及び軌道の補修等を行い、車両及びレールの磨耗等に起因する振動・騒音が増大しないよう維持管理に努める、というものである。

(五)  同3(五)は否認ないし争う。

本件工事区間における施行は前述のとおり泥水加圧式シールド工法によるもので、圧気式シールド工法におけるような圧気は使用しないので、本件工事に起因する酸欠空気の発生はあり得ない。

(六)  同3(六)は、いずれも主観的な危惧にすぎない。

また、(3)については、本件工事においては、住宅地域に排気口を設置する計画はないので、原告らの主張するような被害が発生することはあり得ない。

4  同4は争う。

本件地下鉄は、東京都世田谷区玉川町、二子玉川園付近を起点として、三軒茶屋、渋谷を経由し、表参道、青山一丁目、永田町、半蔵門、九段下、神保町、大手町を経て東京都中央区日本橋室町一丁目、三越前駅付近に至る路線であつて、二子玉川園駅において田園都市線と接続し相互直通運転を行うとともに、三軒茶屋駅において東急世田谷線と、渋谷駅において山手線、東急東横線、京王帝都線井の頭線及び営団銀座線と、表参道駅において営団銀座線及び千代田線と、青山一丁目駅において営団銀座線と、永田町駅において営団銀座線、丸ノ内線及び有楽町線と、九段下駅において都営新宿線及び営団東西線と、神保町駅において都営三田線及び新宿線と、大手町駅において都営三田線並びに営団丸ノ内線、東西線及び千代田線と、三越前駅において営団銀座線とそれぞれ相互乗換えを可能にし、あるいは可能にするよう計画されており、田園都市線沿線地域から都心、副都心方面への旅客需要の増大への対応、銀座線の混雑緩和、渋谷副都心の育成及び都心部皇居西北地域の発展への寄与を目的とする路線である。

右路線のうち、二子玉川園・渋谷間については東京急行電鉄株式会社が、また渋谷・蛎殻町間については被告がそれぞれ地方鉄道法に基づく免許を運輸大臣から得ており、二子玉川園・渋谷間については昭和五二年四月七日から東急新玉川線として、また渋谷・蛎殻町間のうち、渋谷、青山一丁目間2.7キロメートル(営業キロ)については昭和五三年八月一日から青山一丁目・永田町間1.4キロメートル(営業キロ)については昭和五四年九月二一日から営団半蔵門線として既に運行を開始し、且つ、東急田園都市線及び新玉川線と相互直通運転を行つている。

右のように本件地下鉄の建設工事は極めて公共性の強いものである。

5  同5の主張は争う。

(一) 原告らの主張するいわゆる環境権は、実定法に根拠を有するものでなく、公共の施設の設置・運営に関する差止め請求の根拠として一部で提唱されている概念であるが、この環境権なるものは、「人間が健康な生活を維持し、快適な生活を求める権利」とか「良き環境を享受し、かつこれを支配する権利」であるというにとどまるのであつて、そのいうところの「環境」を構成する内容すら明確でない。

したがつて、その侵害ということの意義、更には権利者の範囲も確定し難いことから、差止めの法的根拠としての排他的な権利性はもちろんのこと、その前提となる私権性すら認めることができないものである。

(二) 原告らの主張するいわゆる人格権についても、実定法上の根拠はなく、その内容も不明確であり、差止め請求の法的根拠とはなり得ないものである。

(三) 差止め請求については、損害賠償請求における受忍限度よりさらに高度の受忍限度が要求されるが、本件地下鉄は、銀座線の混雑緩和、渋谷副都心の育成、皇居西北地域の再開発等都市交通政策に寄与する高度の公共性を有する輸送機関であるから、工事及び運行に随伴して生ずる騒音・振動等が沿線住民に対し違法な侵害となるかどうかは、その騒音・振動等が被害者の社会共同生活の必要上受忍すべき限度を超えたものでなければならない。そして、受忍限度は、騒音・振動の態様、程度、被侵害利益の性質、内容、加害行為の社会的有用性(公共性)、沿線住民の居住区域の特性(地域性)、被害回避の可能性、環境基準等の公的規制の有り方及び差止めが認められた場合に生ずる影響等を要素として総合的に判断されなければならない。

五  被告の主張に対する原告らの反論

1  地盤沈下

泥水加圧式シールド工法は、地下鉄工事による地盤沈下の原因の一部を克服するものとはいえても、他の多くの沈下原因については他のシールド工法同様解決できるわけではなく、しかも、泥水加圧式シールド工法には他のシールド工法にはない施工上の欠点があり、かえつて他の原因(セグメント組立て及び裏込め注入の遅延)による地盤沈下を増幅させる傾向にある。

すなわち、シールド工法採用の場合、地盤沈下の原因としては、① シールド先端部分の切羽の崩壊② 工事中のトンネル内の地下水湧出と排水③ 裏込め住入時期の遅延④ 裏込め注入の不足⑤ セグメントの組立て遅延⑥ セグメントのゆがみ、欠損⑦ トンネル内漏水⑧ トンネルが出現することによる地下水流の変化⑨ 滞水層を切ることによる地下水の減少等がある。

ところで、被告が本件工事区間において採用するとしている泥水加圧式シールド工法と従来採用されてきた圧気工法との相違点は、後者がシールド前面を圧気することによつて切羽の崩壊を防止するのに対し、これを泥水によつて行おうとする点にあるのみで、それ以上のものではない。そして、泥水加圧式シールド工法を採用することによつて、排除しうる地盤沈下の原因は、右①ないし⑨の諸原因のうち、①と②の原因にすぎず、同工法によつても、その余の③ないし⑨の原因を排除できるわけではない。しかも、同工法は、切羽面の漏水を防止し得てもシールドテール(特にシールド下部)とセグメントとの間の泥水の侵入を完全に防止することができないという難点をもつている。また、シールド工法の施行に当たつては、シールド通過直後に速やかにセグメントを組み立て、且つ、裏込め注入をすることが何よりも要求されるにもかかわらず、泥水加圧式シールド工法の場合には、他の普通のシールド工法において行われている迅速なセグメントの組立て、裏込め注入ができない。その原因は、普通のシールド工法においてはシールドが一掘進した後セグメント組立てのためのシールド推進ジャッキを一斉に縮めることが可能であるのに、泥水加圧式シールド工法にあつてはシールドに強い泥水圧が作用し、シールドが後退してしまうために、一部のジャッキしか縮めることができず、また、セグメント挿入後は直ちにそのセグメントに当てがつて抵抗する必要があるからであり、更に、シールド機の構造が中央部にカッターの駆動装置が大きく空間を占領して、エレクターの行動範囲が制約されていることなどにある。

2  凝固剤使用による地下水の汚染

(一) 凝固剤LW―1については、珪酸ナトリウムが溶出することが報告されているが、珪酸ナトリウムは、アルカリによる局部刺激があり、皮膚、粘膜を腐食し、これを嚥下すると嘔吐、下痢を起こすなどの毒性が指摘されている。

(二) また、凝固剤RSG―Ⅱについては、強い毒性があることで知られているエチレングリコールが産出するといわれている。エチレングリコールは、中枢神経を抑圧し、嘔気、けいれん、低熱、頻呼吸、昏睡等の症状や腎機能を低下させて尿毒症をおこすほか、脳、心臓、肺等にも障害をもたらし、また、蓚酸カルシウム結石をおこす。

(三) 以上からすれば、水ガラス系凝固剤とはいえ、約二〇〇〇立法メートルという膨大な量を使用すれば、原告ら居住地域の地下を汚染し、ひいては原告らの健康に甚大かつ広汎な障害をもたらすおそれがあるといわなければならない。

3  騒音・振動について

被告は、営業線の経験を踏まえて研究した結果得られたという予測式を持ち出しているが、その予測式によれば、地表振動の鉛直振動レベルの要素となつているのは、軌道別による振動レベル・トンネルからの距離・トンネル重量・列車速度の四つである。確かに、これらの四つの要素は、地表における振動に影響をもたらすものではある。しかしながら、地下鉄運行による振動は、決して右の四つの要素のみから定まるものではない。地下鉄の振動は、最終的には地下鉄構築物そのものの振動が地盤を伝搬することにより生じるものであるため、地盤の構成がどのようになつているかが大きく影響し、地盤の構成によつては共振現象も生じるため、振源からの距離が大きくなればなるほど地表振動が小さくなるとは必ずしもいえない。しかるに、被告の予測式には、この点の考慮が全く欠落しており、地表振動がどうなるかは、結局のところ実際に運行してみなければわからないというのが実状である。

六  原告らの反論に対する被告の主張

1  地盤沈下

泥水加圧式シールド工法だからといつて、セグメントの組立て及び裏込め注入が遅延し、これが原因となつて地盤沈下が増幅することはあり得ない。

すなわち、シールド工法におけるセグメントの組立てはシールド機械内で分割されたセグメントを一個ずつ組み立てていくものであることは、泥水加圧式シールド工法でも普通のシールド工法でも変わりはない。また、裏込め注入の施行時期は、シールド機械のすぐ後と既に組立てが完了しているセグメントから次の掘進が始まると同時に、地山に行うもので、機械内で行うセグメントの組立て時期に左右されるものではない。

2  騒音・振動

被告の振動予測式を本件工事区間に適用することは十分論拠を有する。地下鉄による振動は、各層によつて減衰され、また、ある程度の深さ(三メートル以上)になれば共振による増幅は生じない。

第三  証拠<省略>

理由

第一被告の本案前の主張について

被告は、甲工区については既にトンネル躯体を形成する一次覆工を終了したから、原告らにはもはや差止めの利益がない旨主張するので、まずこの点について判断するに、原告らが差止めを求めている「鉄道敷設工事」とは、トンネル掘削工事の外に、レール敷設工事及び電気工事等地下鉄道完成までの一切の工事を含むと考えられるところ、被告自身、前期一次覆工が終了しただけで、レール敷設工事及び電気工事等は未だ完了していないことを認めているのであるから、甲工区においても鉄道敷設工事は未完成であるといわざるをえず、差止めの利益が消滅したということはできない。

したがつて、被告の右本案前の主張は採用することができない。

第二本案について

一原告らの大部分が千代田区九段南二丁目に住居を有し、本件地下鉄の予定路線上もしくはその付近で土地を所有し又は生活を営んでいること、被告が東京都の区の存する区域及びその付近における地下高速度交通事業を営むことを目的として昭和一六年七月四日帝都高速度交通営団法等に基づき設立された営団であること(請求原因1)並びに本件地下鉄渋谷・日本橋蛎殻町間10.5キロメートルが昭和四三年四月一〇日付け都市交通審議会答申第一〇号をもつて答申され、同年一二月二八日付け建設省告示第三七三一号で都市計画決定された路線であり、昭和四六年四月二八日付け鉄監第二六七号で右路線の事業免許を得て、建設工事に着工し、既に一部が半蔵門線として営業を開始していること(請求原因2)は、いずれも当事者間に争いがない。

二泥水加圧式シールド工法について

被告が本件工事区間においてトンネルの掘削及び覆工をするに当たり泥水加圧式シールド工法を採用するものであることは、弁論の全趣旨によつて明らかである。

そこで、右工法の内容及び右工法で施工した場合に原告ら主張の被害が発生する可能性について検討すると、<証拠>を総合すれば、以下の事実が認められる。

1  泥水加圧式シールド工法とは、機械掘りシールドの前部に隔壁を設け、密閉した切羽側に泥水を加圧して送り込み、切羽の安定を図るとともに、回転カッターによつて切削した土砂を泥水として地上へ流体輸送することを特徴としたシールド工法である。

すなわち、地上の調整槽において土質に適した泥水を調整し、送泥ポンプによつてパイプで切羽水圧室に加圧送泥し、切羽を安定させながら、カッターで切羽を掘削し、切削した土砂を濃い泥水として排泥ポンプによりパイプ経由で地上へ輸送する。地上へ送られた泥水は、土砂の径に応じて、一次分離、二次分離の設備を使用して土砂を分離し、脱水して捨土する。分離後の水は、調整槽等によつて再び良い泥水に調整し、切羽に再循環させる。排出される土砂の量は、排泥量推定装置等によつて測定し、切羽の状態を推測する。機械の運転状況とともに、これらは、一連のシステムとして、総括的に管理される。

2  泥水加圧式シールド工法の利点

本工法の利点は次のとおりである。

(一) 地質が不安定でも、切羽は閉塞されており、泥水によつて加圧されているので、切羽は安定しており、工学的に安全な施工ができる。

(二) 水位下のトンネルでも大気圧下で作業ができる(圧気が不要)。

(三) 圧気シールドのような噴発の危険がない。

(四) 圧気シールド工法では不可能な滞水砂層、含水比の高い粘性土層、高水圧砂礫層等で施工可能で、土質に対する適応範囲が広い。

(五) 大径の礫層でも、破砕装置や礫取り装置の採用によつて施工が可能である。

(六) 排泥が、パイプによるので、坑内作業循環が良好で、作業員の安全度が高い。

(七) 土捨て場や運搬方法に応じた含水比として土砂分離ができる。

3  地下鉄八号線氷川台二工区における泥水加圧式シールド工法の施工例

(一) 地下鉄八号線(有楽町線)の練馬区氷川台三丁目から板橋区小茂根四丁目に至る延長八八四メートルの氷川台二工区について、被告は、昭和五五年一月から一〇月にかけて、複線円形トンネルを築造する工事を機械外径一〇メートルの超大型泥水加圧式シールド工法により施工した。

(二) 工事概況

路線は、放射第三六号道路の計画線内に位置するが、現状は閑静な住宅街で住宅が密集している。平面線形はほぼ直線を主体とするが、一部R=八〇〇メートルとR=一五〇〇メートルの曲線がある。土被りは発進部一二メートル、石神井川下で河床より八メートル、民地部は一二メートルないし一八メートルとなつている。シールド通過部分の地質は、大部分が東京礫層であるが、トンネル断面の上半部には砂と礫の互層が現われる。礫層仲に含まれる礫径は約二〇センチメートルのものが多いが、四五センチメートル前後の玉石も多く混入している。地下水は、極めて豊富で、水位も高く、シールド底面よりの水頭は二〇メートルないし二一メートルと高い値を示す。

(三) 施工実績

(1) 掘進

シールドは順調に稼働し、掘削土砂量及び泥水安定液等の適切な管理と相まつて、崩壊等の大事故はもちろん、大きなトラブルもなく、無事掘進を完了した。

掘進中の切羽保持は、泥水及び圧力管理により行い、停止時においては、切羽水圧保持装置により常に必要圧を保持させた。また、二四時間以上停止する場合は、切羽に泥水を循環させ、沈降による泥水分離を防止した。その結果、シールドと地山との空隙は最大で四センチメートル程度であり、長期間停止した場合においてもこれが増大する傾向は見られなかつた。

(2) 地盤沈下

シールド掘進による地盤沈下は、トンネル直上部に限られたが、一ミリメートルないし三ミリメートルと測量誤差範囲内であつた。

もつとも、始端部付近において四ミリメートル沈下している地点もあるが、これは始端部の氷川台駅がシールド工法ではなく、地上部から掘り下げる開削工法により施工されたこと及び石神井川の護岸改修工事の影響によるものと判断される。

(3) 地下水に対する影響

氷川台二工区には、井戸使用家屋が多く、路線両側三〇〇メートルの範囲の井戸調査でも二四〇の井戸があり、井戸水で生活している家は数一〇軒にのぼつたが、本シールド掘進による周辺井戸への影響は皆無であつた。

すなわち、被告営団建設本部工事部は、シールド掘進状況に応じ、定期的に一二か所の井戸水位を観測したが、シールド工事の影響はみられず、水位の変動は、季節変動ないしは使用による変動と判断された。

三原告らの主張する被害について

原告らは、本件地下鉄工事により、原告らが地盤沈下、地下水の汚染、騒音及び振動等の被害を被る危険性が極めて高いと主張するので、以下原告らの主張する各被害発生の蓋然性について判断する。

1  地盤沈下について

(一) 原本の存在及び成立に争いのない甲第六四号証によれば、シールド工法による鉄道トンネル工事においても地盤沈下が発生し、殊に被告が企業者となつた地下鉄五号線、八号線及び九号線の工事において地表面で平均して八ミリメートルないし八〇ミリメートル、最大で一〇ミリメートルないし二三〇ミリメートルの沈下があつたことが認められる。

しかしながら、前掲甲第六四号証及び証人大岩泰世の証言によれば、前記地下鉄五号線、八号線及び九号線のシールド型式は手掘り式オープンないし手掘り式ブラインドであることが、また、前掲甲第六三号証によれば手掘り式シールド工法は切羽が不安定で崩壊等の危険度が高いことが認められるから、先に認定したように切羽の安定が確実な泥水加圧式シールド工法を採用する本件工事に対しては適切な先例とはいえない。

そして、泥水加圧式シールド工法を施工した具体例としては、先に認定した地下鉄八号線氷川台二工区におけるそれによると、切羽の崩壊はなく、地盤沈下もおおむね測量誤差範囲内の一ミリメートルないし三ミリメートルにとどまつた。もつとも、前掲甲第六三号証によれば、東京都下水道堀切幹線工事において泥水加圧式シールド工法で施工したところ、四〇ミリメートルないし五〇ミリメートルの地盤沈下が発生したことが認められるものの、一方で、同工区の地質は大方N値がゼロという軟弱地盤であることが認められるのであつて、一般的な例というべきではない。

(二) ところで、原告らは、泥水加圧式シールド工法によつても、シールドテールにおいてシールド機械が通過する直後に迅速になされるべきセグメントの組立て及び裏込め注入の不完全により相当程度の地盤沈下は不可避であると主張する。

そして、証人大岩泰世及び同渡辺健の各証言によれば、確かに一般的にはセグメント組立て及び裏込め注入についての原告主張の事項が地盤沈下の原因となることが否定しえないことが認められるけれども、証人渡辺健の証言によれば、現在ではシールド機械が前進した直後に裏込め注入をする即時注入の方法が採られており、また、裏込め注入材料の改良もなされ、シールド機械が前進した直後テールボイドに裏込め注入をしても、切羽面に泥水の品質の変化を与えることのないよう改善がなされて施工されていることが認められるのであつて、現在では解決克服された問題点であるとみることができる。

(三) 以上に加えて、弁論の全趣旨により真正に成立したと認められる乙第一一号証の二及び三三号証の二により認められるところの、本件工事区間におけるトンネルの下床はおおむねN値五〇程度の安定した地盤に構築されること、また、弁論の全趣旨により真正に成立したと認められる乙第一七号証により認められるところの、電車荷重を含めたトンネル荷重は約九〇t/mで、トンネル容積に相当する土の重量約一五〇t/mより小さいことを総合して考慮するならば、本件工事によつて、地盤沈下が発生する具体的危険性があるとはいえず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

2  地下水の枯渇、浸水及び汚染について

(一) 地下水の枯渇、浸水について

原本の存在及び成立に争いのない甲第二八号証によれば、武蔵野線建設工事の関連工事として国鉄が建設した短絡線工事で、工事終了後に国分寺市の住宅街で地下水が湧き出し、国鉄が右工事が原因であることを認めたとの報道がなされたことが認められるものの、同浸水被害がどのような地質及び地下水の状態に対してどのような工事が行われた結果発生したかについて、本件工事に類推すべき条件を認めるに足りる証拠はないし、他に本件工事で原告ら主張の地下水の枯渇及び浸水が発生する具体的危険性を認めるに足りる証拠はない。

かえつて、本件工事で採用される泥水加圧式シールド工法は、圧気シールド工法では不可能な滞水砂層、含水比の高い粘性土層でも泥水圧の調整により施工可能であり、また、泥水加圧式シールド工法で施工した地下鉄八号線氷川台二工区においては、地下水が極めて豊富で水位も高い地質状況であつたにもかかわらず、地下水が大量に湧出したことも井戸水に対する影響もみられなかつたことは、さきに認定したとおりである。

(二) 凝固剤使用による地下水の汚染について

本件工事において凝固剤が使用されるとの証拠はないが、仮に凝固剤が使用されるとした場合に原告ら主張への被害が発生するかについて判断するに、いずれも原本の存在及び成立について争いのない甲第五四ないし第五八号証によれば、仙川小金井分水路工事、茨城県牛久・竜ケ崎両地区における常南流域下水道工事等で付近住民が手足のしびれや湿疹等の被害を受けたとして凝固剤の使用が社会問題になつているとの報道がなされたことは認められるが、これらの被害が凝固剤によつて発現したものであることを認めるに足りる証拠はない。

成立に争いのない乙第四号証の一、二によれば、建設省作成の「薬液注入工法による建設工事の施工に関する暫定指針」により、当分の間使用できる薬液を水ガラス系で劇物又はふつ素化合物を含まないものに限ることとし、また、水ガラス系の凝固剤を使用する場合にも事前調査、水質監視等を義務づけ、水質検査の結果、PH測定値が、8.6を越えた場合(工事開始直前のPHが8.6を越えている場合は、その値を更に越えた場合)には工事を中止し、必要な措置を採らなければならないとし、その旨被告にも通知したことが認められるが、証人大岩泰世の証言によれば、被告が施工した地下鉄八号線氷川台二工区において、補助工法として発進部と到達部で薬液注入工法が採られ、水ガラス系の凝固剤が使用されたが、井戸水に凝固剤の影響は全くなかつたことが認められる。

また、原告らのうちに日常井戸水を生活用水として使用している者がいることを認めるべき証拠はない。

したがつて、原告ら主張の被告による凝固剤使用の可能性とこれによる原告らへの被害発生の可能性については、いずれもこれを認めることができない。

3  騒音・振動について

(一) 地下鉄敷設工事に伴う騒音・振動

本件工事により著しい騒音・振動が発生することを認めるに足りる証拠はない。

(二) 地下鉄運行に伴う騒音・振動

(1) <証処>によれば、本件工事以前において、地下鉄丸の内線、千代田線及び武蔵野南線等沿線で家が傾く、壁にひびが入る等の振動ないし騒音の苦情がでているとの報道がなされた事実が認められ、その振動の程度については、成立に争いのない乙第一九号証の一によれば、豊島区環境部公害課が昭和五〇年五月二一日と同年七月二〇日ないし二三日に地下鉄丸の内線上の豊島区東池袋五―四六の地表面で測定したところでは、各測定日時の鉛直方向での振動の平均が六三デシベルと六七デシベル、豊島区東池袋三―二〇の地表面及び屋内一階床面での同年七月二一日ないし二三日の鉛直方向での振動の平均が八一デシベルであつたことが認められる。

(2) ところで、成立に争いのない乙第二一号証によれば、一般に、人は、睡眠時に地表の振動レベル五五デシベルで振動による影響を受け始め、五五デシベルでは睡眠にほとんど影響はないが、六四デシベルになると睡眠深度一ではすべての人が覚醒し、七四デシベルでは睡眠深度一、二ともすべての人が覚醒することが認められるから、本件地下鉄完成後の運行により右のような睡眠の障害となる振動が発生するか否かが問題となる。

(3) 弁論の全趣旨により真正に成立したと認められる乙第一八号証の二によれば、被告は、営業線の経験を踏まえて研究した結果、地表振動を規定する要因として、軌道構造、トンネルからの距離、トンネルの重量、列車速度を挙げ、複線シールドの場合の地表振動につき次の予測式を定立したことが認められる。

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L=地表振動の鉛直振動レベル(dB)

K=軌道別による振動レベル(dB)

X=トンネルからの距離(m)

Y=トンネル重量(t/m)

Z=列車速度(Km/H)

原告らは、この予測式につき、振動は地表の構成がどのようになつているかが大きく影響し、地盤の構成によつては共振現象も生じるため、振源からの距離が大きくなるほど地表振動が小さくなるとは必ずしもいえないと主張する。確かに成立に争いのない甲第九一号証によれば、一般論として原告ら主張の事実が認められるものの、他方、弁論の全趣旨により真正に成立したと認められる乙第一八号証の一及び前掲第一八号証の二によれば、土被りが三メートル以上になれば共振による地表振動の増幅は生じないこと及び一般的に変化の少ない一様の土質においては振動の減衰が小さいが、砂・礫・シルト・粘土等積層の場合は減衰が大きい傾向があることが認められるのであり、本件の甲乙各工区では、後に認定するとおり土被りが二〇メートル以上で、前掲乙第一一号証の二及び第三三号証の二で明らかなとおり粘土・砂・砂礫・シルト等の積層であるから、少なくとも本件各工区においては原告ら主張の共振現象を考慮する必要性はないと考えられる。

(4) そこで、前記予測式に基づき本件各工区の地下鉄運行時の振動について検討を試みる。

前掲乙第一八号証の二及び弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる乙第一八号証の三によれば、被告は、沿線で発生する振動の苦情に対する防振対策として、当初まず民有地の地下ではバラスト道床を採用したが、その後バラストの下に、古タイヤのトレッドの部分を重ねて防振材とした防振マット軌道を開発、実用化し、同防振マットも当初は二枚重ねを敷設していたが、より効果を挙げるために、現在では四枚重ねを採用し、その防振効果は平均で一一デシベルであることが認められるところ、弁論の全趣旨によれば、被告は本件工事においても右防振マット四枚重ねの防振対策を採ることが認められ、前掲乙第一八号証の二によれば、複線シールドにおけるバラストマット(二枚)軌道の振動レベルは一般的には六九デシベルであることが認められる。また、弁論の全趣旨により真正に成立したと認められる乙第一〇号証、第三二号証及び弁論の全趣旨によれば、甲工区のうち、別紙「一一号線九段付近工事進捗状況図」記載のとおり渋谷起点6キロ698.511メートルから6キロ810メートルまでの部分は駅施設部分であり、その余の区間の土被りは21.2メートルないし30.4メートルであること及び乙工区の土被りは10.13メートルないし27.54メートルであり、特に民有地部分については20.50メートルないし27.54メートルであることが認められる。更に、前掲乙第一七号証によれば、本件トンネル重量は七〇(t/m)であることが認められる。

そして、前記予測式のうち列車速度については、本件証拠上明らかでないため、六〇(Km/H)と想定して、前記予測式から算出すると、土被り20.50メートル及び30.4メートルの地表振動の鉛直振動レベルは、それぞれ49.98デシベル、46.56デシベルであり、いずれも睡眠中の人が振動による影響を受け始める五五デシベル以下に抑えられると計算される。

そして、本件各工区では、防振マットが二枚ではなく四枚となるから、前叙の防振効果からすると、振動レベルは更に低くなる道理である。

(5) ちなみに、弁論の全趣旨により真正に成立したと認められる乙第一六号証の一ないし八及び第二〇号証の一、二によれば、被告が防振対策(バラスト道床防振マット二枚)を施した地下鉄有楽町線の文京区大塚五丁目、千代田区四番町、五番町、六番町、同区平河町二丁目(土被り最浅12.5メートル、最深21.4メートル)におけるトンネル直上の振動のピーク値平均値は最小三六デシベル、最大四九デシベル(トンネル重量は四〇ないし六一(t/m)、列車速度は四九ないし六五(Km/H)にとどまつたことが認められる。

また、成立に争いのない乙第一九号証の二によれば、その他にも、防音防振対策として、①レール変換(耐用年限前に交換する。)②レール継目の修正(必要以上に空いた継目を適正な間隔にする。)③ロングレールの採用(ロングレール、すなわち二五メートルの普通の長さのレールを何本か溶接して二〇〇メートル以上の長さのレールとしたものを採用する。)④車輪の削正(磨滅した車輪を円形に削り直す。)⑤保線作業(レール、枕木を支える道床のつき固め)⑥ポイントの撤去(不用になつたポイントの撤去)等があり、効果を挙げていることが認められるから、これらの対策を適切に実行することにより、本件地下鉄運行に伴う騒音・振動は一層抑制可能である。

(6) 以上の事実を総合するならば、本件において地下鉄道運行に伴う騒音・振動によつて原告らが被害を被るとの具体的危険性は認めることができない。

4  酸欠空気噴出について

<証拠>によれば、昭和四六年七月二六日に発生した東京都千代田区隼町の最高裁判所新築工事現場での酸欠空気噴出による死亡事故をはじめとして、東京都内において酸欠空気噴出が原因と推測される事故の発生が報道されていたことが認められる。

ところで、原告らは、圧気式シールド工法の施工を前提として酸欠空気噴出の具体的危険性を主張するのであるが、先に認定したとおり、被告は、本件工事において泥水加圧式シールド工法を採用し、圧気を使用しないから、原告らの主張は失当というほかなく、また、泥水加圧式シールド工法により施工した場合に酸欠空気の噴出事故が発生したことを認めるに足りる証拠もない。もつとも、証人大岩泰世の証言によれば、泥水加圧式シールド工法により施工した地下鉄八号線氷川台二工区では、カッタービットの交換に当たり圧気工法を補助的に併用したことが認められるが、同工事によつて酸欠空気噴出の被害が発生したことについては何らの証拠がない。

5(1)  ガス爆発、水道管破裂による被害について

<証拠>によれば、本件工事以前において地下鉄工事に関連してガス爆発及び水道管破裂等の被害が発生した旨の報道がなされたことがあることが認められる。

しかしながら、東京都内の地下に多くのガス管及び水道管が埋設されていることは公知の事実であるにしても、さきに認定したとおり、原告らの居住地域の地表面下20.50メートルないし27.54メートルの深度を、極めてわずかな地盤沈下を伴うだけで掘削する本件泥水加圧式シールド工法によつて、ガス爆発や水道管破裂が発生する可能性は乏しいといわなければならず、原告ら主張の被害が発生するとは認めることができない。

(2) 排気口周辺の被害について

原告らは、排気口が住宅地域に設けられることを前提として、これによる被害発生を主張するが、本件全証拠によつても本件工事において原告ら主張の民有地付近に排気口が設置されるとは認められないから、右主張も認めることができない。

6 以上のとおりであつて、本件工事及び完成後の地下鉄運行によつて発生すると原告らが主張する様々な被害については、その発生の具体的危険性が証明されたとはいうことができない。

かえつて、<証拠>を総合すれば、甲工区のトンネル掘削工事は本件口頭弁論終結時までに既に完了したことが認められるところ、原告荻村隆及び同情水国臣各本人尋問の結果及び弁論の全趣旨を総合すると、甲工区の右トンネル掘削工事によつては原告らが主張する被害(ただし、地下鉄運行に伴う騒音・振動を除く。)は発生しなかつたことが認められるのであつて、この事実によつても、原告らの被害発生に関する主張が単なる主観的な危惧にすぎないことが結論づけられるというべきである。

第三結論

以上の次第で、その余の請求原因事実について判断するまでもなく、原告らの請求はいずれも理由がないことが明らかであるから、これを棄却し、訴訟費用の負担について民訴法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官稲守孝夫 裁判官木下徹信 裁判官飯塚宏)

一一号線九段付近工事進捗状況図<省略>

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